小学生の時から関ジャニ∞を見てきた大倉担が想うこと

2014年夏、
何気なく観たエイトレンジャー2によって
関ジャニ∞の沼に落とされた私は
お金を貯める派だったはずなのに
その日のうちに、主題歌であったER2を買いに行き
1ミリも迷うことなくFCに入った




当時の自分の行動力は、我ながら褒めたいと思う
(いきなり何の話)





薩摩弁を操るピュアな男の子(といっても随分年上)
に恋をしたそのときからずっと
私のFC名義の"好きなアーティスト"の欄には
"大倉忠義"と書かれている







人生で初めて行ったコンサートは
関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!」だった




タンバリン型のペンライトを持ち
大倉のうちわをもち
キャンジャニちゃんを双眼鏡で凝視したことは
今でも鮮明に覚えている





7人を追うことに対して
"楽しい"としか感じていなかった私が
初めてマイナスな感情を味わったのもこの頃だった





2016年1月17日
元気魂オーラスを大倉が腸閉塞により欠席した




ただ、幸いなことにすぐ治り
その週のラジオにも生出演してくれたことで
心配は長く続かずに済んだ





この数年後に比にならないくらい
(と言ったら当時の大倉には失礼かもしれないが)
大変なことが彼らを襲うとは知るはずも無かった





その後、私はエイタメ魂、ジャム魂に参戦し
外れてしまったリサイタルもグッズ参戦はした





このときの関ジャニ∞
自身初となる野外フェスへの出演や
年2回の五大ドームツアーという偉業を成し遂げ
誰の目から見ても絶好調なのは間違いなかった





きっと誰もが
この7人がこれから見せてくれる景色に
大きな期待を抱いていたと思う


私も、7人を追う日々が
楽しくてしょうがなかった






しかし、その日は突然やってきた





2018年4月15日



10:00前にジャニーズから送られてきたメールには
"11:00から関ジャニ∞より大切なお知らせがある"
という趣旨の文が書かれていた




2日前の週刊誌に書かれていたあのことか、と
一瞬にして分かった
絶対に嘘だと思っていたが
それしか思い当たる節が無かった




あんなに長い1時間は初めてだったかもしれない





そして迎えた11:00




祈るような気持ちで開いた
FCの会員ページには
7人からのメッセージが書いてあった





渋谷すばる
関ジャニ∞脱退、ジャニーズ事務所退所





嘘だと願っていたことが
事実だと確定してしまったその瞬間から
涙が止まらなかった








会見での6人の姿を、決して忘れることは無い








(すばるのことで精一杯で
転んで背中を強打したと伝えられたヤスのことは
まだこのときは深く考えられていなかった)









この出来事を境に
今まで究極のバランスで上手く保たれていた
関ジャニ∞の歴史の歯車の回りが
少しずつ変わっていったのだと思う







彼らを応援し続ける上で
ただ"楽しい"という感情だけでは
追いつかなくなった








ペコジャニ、Mステ、クロニクル、MUSIC DAY
そして、関ジャム生放送という
怒涛のすばるお見送りTVラッシュが終わり
7月13日のレンジャー更新が終わり

ついに7月15日
6人初のコンサート「GR8EST​」が始まった






アルバム発売時は7人だったのに
コンサートは6人という異例の事態





もちろん、とても楽しいコンサートだった






でもやっぱり"楽しい"だけじゃなくて
"6人の決意を
eighter​が受け止めに行かせてもらった"
そんな感じがした







初日直前に伝えられた
ヤスの病気と怪我のこともあり
本人たちもeighter​も
必死だったような気がする





それぞれがいろいろなことを考えたのだろうけど
1つだけ確実に言えるのは
見た人全員が
この6人に着いていけば大丈夫
と感じたことだと思う






ただ、私が彼らに異変を感じたのは
2019年の最初の方のことだった





2018年秋から
ヨコと大倉が関西Jr.のプロデュースを始めた


年齢的にも後輩のサポートをするのは
当たり前だと思ったし
関ジュの子たちやファンの方からの評判も良くて
2人を誇らしく思った






でも、今思うとこれが違和感の始まりだった



なにわ男子を始め
関ジュのコンサートの演出に携わる大倉

主にお笑いコーナーの演出に携わるヨコ

大倉と2人で曲を作り、関ジュに提供するヤス

コンサートを観に行ったり
ジャニ勉で関ジュ育成コーナーを持ったヒナ




ちょうどこの時期にドラマの撮影があったことも
関係しているとは思うけど
エイトが取り組み始めた関西Jr.のプロデュースに
亮ちゃんだけ参加している様子が無かった




もとから人見知りだし
自分から後輩と親しくできるイメージは無いけど
このとき少しだけ嫌な予感がした





だが、関ジャニ∞としての活動が止まることはなく
3月には6人として2枚目のシングルであり
亮ちゃんのドラマ主題歌でもある
「Crystal​」が発売された





しかし、彼らが歌番組に出ることは無かった







バンド曲だったこともあり
大倉の足の骨折が原因だと信じていた







今思えば、彼らはこのとき
すでに5人で活動していくことを決めていた






少しの違和感を感じながら迎えた7月





音楽番組でやっとCrystal​を披露し
(これも今思えば最初で最後のTVでのCrystal​)
何事も無いかのように
15周年記念ツアー「十五祭」も始まった





この十五祭がめちゃくちゃ楽しかった





ドームの敷地の至るところに立てられたのぼり

グッズ列付近で流してくれていた曲

外のモニターで流れていた過去のMV

会場内で開演まで流れていた懐かしの映像






開演前から楽しめるように
隅々まで完璧に考えられたコンサートだった






コンサート本編が素晴らしかったのは
言うまでも無いと思う





8人の関ジャニ∞も、7人の関ジャニ∞
全て背負ってこれからも6人は進んでいく






彼らはそう言ってくれているんだと思った






しかし、忘れていた違和感を再び感じたのは
9月3日に無事にオーラスを迎えた翌日
9月4日のことだった






前日まで関ジャニ∞が使っていた
東京ドームで行われた、ジャニーさんのお別れ会




マッチさんからJr.まで
多くのタレントが参列する中
亮ちゃんの姿は無かった







数ヶ月前に行われていたジャニーさんの家族葬
ヒナがいなかったこともあり
個人の仕事があったのだろうと思っていた











でも、またあのメールは来てしまった







2019年9月5日

錦戸亮
関ジャニ∞脱退、ジャニーズ事務所退所の発表






すばるのときと大きく違ったのは
関ジャニ∞脱退は事後報告ということだった







十五祭オーラスが行われた9月3日が
6人の関ジャニ∞最後の日だった








もう二度と6人の関ジャニ∞を見ることも
関ジャニ∞錦戸亮を見ることもできない









その事実を理解したとき
私は1人で泣くしかなかった










でも、そんなときにエイトが送ってくれた動画には
いつものように話している姿が映っていた













今までと1つだけ違うのは
5人だということだった








正直、まだ気持ちの整理がついていない状態で
47都道府県ツアーの話をされても
全く耳に入ってこなかった





もう6人を見れないという事実を
まだ受け止めきれていなかったのに
関ジャニ∞はすでに先を見ている気がして
複雑な気持ちだった







でも、あのとき5人が
eighter​を無理にでも引っ張ってくれなかったら
ずっと立ち止まったままだったかもしれない









5人はとにかくeighter​のことを
考えてくれていたんだと思う








この発表の2日後
大倉が生放送のラジオで
eighter​へ向けた手紙を読んでくれた










5日に身体の中の涙は出し切ったと思っていたが
全くそんなことは無かった















「6人になってバランスが崩れた」

「グループ結成以来、初めて立ち止まった」

「チャレンジの方向性の違い」

「3月にはこの形になることが決まっていた」

「でも15周年のお祝いは笑顔でしてほしかった」









大倉は、おそらく少しも包み隠すことなく
ここまでの事実をしっかりと話してくれた







何ヶ月も前から5人になることは決まっていたのに
6人はそれを微塵も感じさせなかった









もう6人の関ジャニ∞は見れないのに
6人の関ジャニ∞がさらに好きになってしまった










嬉しい、悲しい、寂しい、苦しい…
いろいろな感情が入り混じって
深夜にラジオの前で号泣した












手紙には十五祭のことも書かれていた






「演出は全て自分がやった」

「会場の外からお祭りのようにしたかった」

「責めるなら自分を責めてくれ」

「でも僕の横には頼もしいお兄ちゃんたちがいる」









私が行った今までのコンサートの中で
1番楽しかった十五祭









その演出を全て大倉がやってくれていたことを知り
この人のファンで良かった、
関ジャニ∞のファンで良かった、と改めて思った













そして、泣きながら聞いていた手紙の最後










彼は
メンバーや事務所には全く関係ない、
完全に個人の意見、と前置きした上で
ゆっくりとこう語った












次、もしこういうことがあるなら

僕はもう終わりで良いと思う















ストレートすぎて厳しい言葉のように思えた






でも、これが紛れもない本心なのだと思った






この一言に
"5人の関ジャニ∞"への決意が
詰まっているような気がした











不思議と
7人から6人になったときより
6人から5人になったときのほうが
気持ちを切り替えられるのが早かった感じがする














5人になったことは
確実に、関ジャニ∞第二章の始まりだった











常にグループの真ん中で歌っていた
センターとエースが抜けた5人の関ジャニ∞











世間の人からは
"もう無理だろう"と思われていたかもしれない











でも、eighter​は5人を信じていた












5人初シングル「友よ」
表題曲の素晴らしさもさることながら
カップリングの「My story​」や
特典映像の「ぼちぼち大切な夜」が
5人にとって、eighter​にとって
とても大事なものとなった












#ぼち夜鑑賞会 というタグが
Twitterの世界トレンド1位をとるくらい
みんなで盛り上がりながら観た
5人のバーベキュー









ジャニーさんを見送ってから
節目には必ずやるバーベキューをして
みんなで話して泊まって
5人初のアー写を富士山に撮りに行くという
特典映像には定評のある関ジャニ∞の中でも
いろいろな意味で圧倒的に濃すぎる映像だった












でも、何より
5人で過ごす初めての日を
eighter​と共有してくれたことが
私はとにかく嬉しかった











部屋で5人きりで話していたところは
きっとeighterは​みんな泣いた
(ここを語り出したらキリが無いので割愛)











(プチ寝起きドッキリ撮ってくれてありがとう)












ここからの5人の勢いは凄まじいものだった











47都道府県ツアーが始まり
神企画、関ジャニ∞TVも始まり
大倉は、再び"くらすます"を始めてくれて
立ち止まる様子は全く無かった











#ぼち夜鑑賞会 に続き
#夜な夜なクリスマス会
#クリスマスカオス会 など
さまざまな企画をやってくれた














年末には8年連続となる
紅白歌合戦への出場も無事決定した














しかし、そんな彼らを襲ったのは
まさかの新型ウイルスだった











2回目の47都道府県制覇をしようとしていた彼らは
コロナの影響で半分以上残したまま
中止することを余儀なくされた









だが、大倉のプロデュース能力が
さらに開花したのはここからだった










3月末に行われたYouTubeでのライブ映像配信




関ジャニ∞は既存の振り付けを変更し
"ソーシャルディスタンス"を意識した
パフォーマンスをした




まだ"ソーシャルディスタンス"という言葉が
世間的に広まる前の話だった




大倉はコロナの予防について調べ
自らの発言力を活かし
ラジオやブログでもこれを紹介した







また、予防法だけでなく
家にいながらファンが楽しめる企画
"Stay home with J​"
(グループの枠を超えてバトンを回し、ブログを更新していくジャニーズweb上の企画)
をスタートさせた





eighterだけでなく
全てのジャニーズのファンが楽しめるように
くらすますで始めてくれたものが
あっという間に多くのファンに広まり
SNS上でも話題になった








(回ってきたグループのファンの人が喜んでくれたり、大倉に感謝してくれているのを見てニコニコしていた大倉担)














その他にも
ちびぬい通販とか
モーニング関ジャーニーとか
ここに書ききれないくらい
いろいろなことをやってくれている








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心の底から7人の関ジャニ∞が大好きで
7人の関ジャニ∞は永遠に続くものだと
当たり前のように思っていたけど
突然その日々は終わりを迎えた







世の中に永遠なんて無い









そう分かったはずだったのに
私はまた6人の関ジャニ∞に永遠を求めた











でも6人の関ジャニ∞
約1年で終わりを迎えた









アイドルのファンって
もっと"楽しい"だけのものだと思っていた










いや、そういうアイドルのほうが
もしかしたら多いのかもしれない











でも、関ジャニ∞
そういうアイドルでは無かったらしい












アイドルに"楽しい"だけを求めて
eighter​になった身としては
この2年間は思っていたものとは違った











でも、"楽しい"よりもっと大事なことを
彼らからたくさん教えてもらった気がする








…もちろん楽しいことが大半だったよ!笑









とは言え、この2年間で何度も泣いて
アイドルのファンってこんなはずじゃなかった
って思った












それでも、私には関ジャニ∞しかなかったし
落ち込んだ自分を救ってくれたのは
いつも関ジャニ∞だった






これから先も
関ジャニ∞に何があるか分からない








また誰か旅立っていってしまうかもしれない








そのときはグループが終わってしまうかもしれない














でも、永遠なんて無いって分かったはずなのに
懲りずに5人の関ジャニ∞は永遠だと
信じてしまっている自分がいる











そう思うことで
あとから自分の首を絞めることになるかもしれない









だけど、今の関ジャニ∞を見て
誰が終わることを想像できるだろう














どう頑張っても
今はそんなことを考えられない









だから、私はこれからも
死ぬまで5人の関ジャニ∞を追い続けるのだと思う











人の気持ちは変わるってことは学んだけど
今、そう思えていることが幸せなんだから良いよね














またみんなが安心して集まれる状態になったら
47都道府県を制覇して
絶対に五大ドームツアーやろうね














ずっと
最高で最強の関ジャニ∞でいてください